このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

それは知的障害なのか

例によって憶測だらけの根拠アンド自信レスエントリーなのでこっちにひっそり書きます。m(_@_)m

障害者雇用について語りやすくする名著「チャレンジする心」

なんとなく思うのだが、ここで取り上げられている本に出てくる「知的発達に障害のある社員」って、福祉政策上の位置づけは知的障害者なのかもしれないが、障害特性としてはまんべんなく発達が遅れた人ではなく発達にでこぼこの目立つ、いわゆる自閉系のキャラが多いのではないか?

専門外なので根拠レスではあるのだが、そう考えるとリンク先に引用されている社員達の特性がすとんと胸に落ちるのである。

後の方で、陶芸だの農業だのといった「働く力」をつけるための訓練という話が出てくる。しかしもし「知的障害者」の多くが自閉傾向を持つならば、彼らはたとえば健常者が自閉者のパニックを見たときに感じるであろうこらえ性のなさとか集中力の不足とかそういう問題はおそらく抱えていないか、持っていても陶芸や農業では改善しようがない気がする。(この憶測が正しいならば、"訓練"で見せた我慢強さは、就職して環境が変わったとたんにどっかに行ってしまい、訓練前のようなパニックが出る例がそれなりに存在するはずである。)

問題が知的というより自閉性障害にあるのならば、そうした人々の生産性を上げるシステマティックな方法は世間にあまり知られていないとしても確立していると言ってもいいはずなので、話は早いのであるが…。



で、本から引用してある「定常化」とかその他のテクは、自閉者向けと言ってもいいくらいハマってたりするわけですが。(^_^;)

ちょー論理

気になっているのでちょっと書いてみる。

発端はこれ。

@IT:個人情報保護法を論理的に読み解く

要するに、法律家の世界では、中学か高校あたりで習うであろう(私はベン図とかが教科書に大きく載る前の世代なので現在どうなっているかいまひとつ自信がない)論理式の例題に乗るような簡単な事例がなかなか通じないというのである。

法の世界では反対解釈なる方法が確立している位なので、論理学上の常識とは異なる法の適用方法も場合によってはアリなのだろう。

私は根がいいかげんな人間なので、論理学的に成立しないロジックを用いた法解釈であろうとも、人権上望ましい結果を導くために適用されるのならば許される場合があってもよいかもしれないと思うが、これはどうか。

はざまの中で:障害児施設の現場から/1 子育てのすべ知らぬ母の「契約」(魚拓)

措置制度を適用すべき、言い換えれば職権で子供を保護すべきと思える事例で都の児相が契約制度を適用すべく持ち出した理屈が

「母親には成年後見人がいない。だから契約能力がある」

というもの。この事例の母親には、問題の時点で法的な契約能力はあることになっている。言い換えれば、母親が何らかの契約を行った場合、後見人がそれを取り消すという簡便なやり方で母親の権利を保護することはできないということである。

しかしその場合でも、能力を欠く常況にあったことを知りながら契約を結ぶならばそれは社会的に許されないであろう。後見人がいなくても、ボケていることが傍目にも明らかな爺さんに不要な商品を売りつけることは許されるべきではない。(ここに書いたボケ爺さんのようなケースの場合、裁判で認められれば契約を取り消すことは可能。)



にもかかわらず、このケースでの"契約"の様子は

「まるで認知症の高齢者に高級布団を買わせる契約のようだった」

というのだから恐れ入る。orz

なお、後見開始を申し立てることができる者として市町村長にもその権限が与えられているようであるが、法律(契約)能力の制限という人権上重大な問題を扱うのである以上、その運用は可能な限り抑制的であるべきであろうから、この場合市町村長から後見開始が申し立てられなかったことを非難すべきではなく、都側の契約押しつけを問題とすべきであろう。

別の例は「発達障害者は大人として認められないのか?



この人の場合、「療育手帳を取得するとき…」とあるので、知的障害かそれに近い状態にあると思われますが、知的障害の程度と法律能力は制度的にもリンクしていませんから、療育手帳を持っている成人であっても被後見人などの制限能力者として扱おうとするならば別の手続きが必要になるはずです。

しかし、こちらの人は、行政の支援を受ける場合であっても親の同意を強いられると書いておられます。書いておられる例の中で、親が関係する必要性があるかもしれないなと思われるのは障害認定にあたって親から話を聞く(これが正当だと言えるのは生育歴を聴取する場合のみ)という所だけで、他はたとえば、大人が職業訓練を受けるのに両親の承諾うんぬんはないだろう、というのが正直な感想です。いや、訓練が苦役とか奴隷労働だとか言うなら別ですが、まさか公的機関がそういうことはなさいますまい。なお、言うまでもありませんが本人が自発的に親の意見を求めるのはアリです。

リンク先をご覧になればおわかりのように、こちらは後見人と見立てているらしい親の承諾を過剰に求める例となっております。どっちも福祉がらみの例で、本人の能力は逆方向に見積もっている一方で、両事例に共通するのはどちらの取扱もサービスの提供に抑制的に働き、支出削減に寄与するというのがどこにでもころがっていそうな話でがっかりします。orz

そういうわけで、財政事情もわからんではないが、それを口実にするのはリフレしてからにしてくれとか、真っ先に考慮すべきは障害者などの人権であって財政ではないだろうとか、色々愚痴っておくことにします。m(_@_;)m

注意:

法律用語とかをあちこちにちりばめてありますが、筆者は法律や行政に関しては素人なので、誤りの指摘や、より詳しい方からのツッコミをお待ちしております。m(_@_)m

食品の値上げに音上げ対抗する

安く付きそうだということで朝食をパンにしていたところ、小麦粉の高騰が直撃。6枚切100円の食パンの特売がなくなり、同品質のパンは特売でも130円位の値が付くようになった。



で、別のスーパーで同クラスのパンの賞味期限切れ寸前のものが100円をちょっと切れるくらいで売られることがあるのに注目。今まで買っていた特売パンも最後の方は賞味期限を回ってから食べていたのだから、全部回ってから食っても同じ、(じゃないけど)を食らえば皿までだとばかりに期限切れ寸前での特売品を買いだめ'(いつも売られているわけではないので多めに在庫を確保しておかないと品切れするため)し、口に入るのはいつも期限切れ状態という偽装食品も真っ青な食い方をすることに。(^_^;)



焼きたてパンがうまいのは高級品を生で食べる場合であって、安物を焼いて食べる場合は、幸いにも自分の舌がタコなせいもあってさほど差を感じない。腐るとかカビが生えるとかすれば話は別だが、冷蔵庫で保管すれば結構持つことが経験的にわかっているので、自分のお腹を担保に差し出して食費を浮かす策に出ることにした。

注意:筆者は自己責任でこれを行っております。真似して病気になっても一切責任は取れません。

…首相の"値上げには工夫で"みたいな発言に、はてなブックマークとかで時々"既に限界を超えてます"みたいなことを書くのにはこんな事情があったりするのだった。



やりようによってはもう少しマシな方法もあるのかもしれませんが、それはバカな私の脳力を明らかにこえておりますです。orz 福田さん、工夫のできるのーみそ少し分けてください。

お笑い(?)節約法

仕事を見つけきれない生保受給者の私はワーキングプアの皆様に比べればたぶん甘いのだろうと思いつつ愚痴ってしまう。限界とか余裕がないとか申しておる割にはせいぜいこの程度の話でありますが、どうか怒らずに、できれば笑い飛ばしていただきたく。m(_@_)m

なお、なんちゃって太陽熱温水器とかのネタはすでに紹介済にて略させていただきます。(効果がないなら設備投資の分がまるまる無駄じゃん、という突っ込みは甘んじて受けます。orz > なんちゃって太陽熱温水器)

憲法集会(護憲派)に出かける

今年の小倉の集会はちょっと期待はずれ。

ディベートガチンコ対決!護憲学生 対 改憲弁護士」」という企画があったのだが、どうにも間が悪い進行で面白くない。演出とか打ち合わせとかなしのぶっつけ本番っぽい様子だったが、テレビなんかの(って、実は持ってないからよくわからんが)「ガチンコ」は見て面白いように演出をするから面白いのであって、そういう仕掛けなしのしらけたぶっつけ本番など「ガチンコ」の名に値しないのである。(^_^;)

なお、脚本通りの進行だけが"演出"ではない。出演者の顔ぶれによって雰囲気を決めるのも立派な演出である。今回の企画であれば、予告先発みたいにあらかじめ主張のコアを出し合っておくとかするのも一つの方法であったろう。

それにしても戦後還暦を過ぎて、戦争放棄が決められるに至ったふいんき(なぜか変換できない)とかは歴史のかなたに忘れ去られているようで、改憲派役の弁護士が日本の貿易依存度の高さを取り上げて"シーレーン"(とは言わなかったが)防衛の必要性をぶち上げたのに対して、護憲派役の学生諸君が、大日本帝国が軍事力によるシーレーン確保に失敗したことと平和憲法下での貿易の拡大という事実を提示できなかったのは正直情けなかった。

おまけに、終了後のネタバレ(?)で、どの国が日本に戦争を仕掛けるのかと突っ込まれたら厳しかった、などと改憲役が言うので、やっぱ終戦直後の歴史は遠くなりにけりということを実感できて脱力である。

冒頭の劇でも徴兵制がどーのこーのというお決まりの話が出てきたが、現代日本で最も可能性が高いのは米国型の、貧困層リクルートするパターンのよーな気もする(しかし戦時の情報統制とかは前例踏襲もあり得るかも)わけで、ここは一つ「戦争の経済学(書評)」にも目を通してから出直していただきたいとか思ったのだった。(^_^;)

戦争の経済学

ポール・ポースト/山形浩生訳/バジリコ Amazon(いつもだったらもっとオンライン書店へのリンク張るのだけれど、疲れているので略。orz)

マニアックな分野をネタにした経済学の入門書。この一言で終わりの気もするが、この本を通読させられたのは「逆の意味で頭が割れるように痛い書評」の元ネタのせいなので、石川康宏先生には書籍代を請求したい気分である。orz

この本が「アメリカの利益だけ検討」(書評)しているかどうかはともかく、アメリカがネタになっているパートが多いのは確かだ。でも、著者がアメリカ人で、アメリカの情報公開度が高く、かつデータの連続性が確保されていたら、そりゃネタにはしやすいでしょ、という話のようにも見える。訳者の山形氏とはたぶん違って日本国憲法9条のような立場の安全保障はあり得ると私は思っているので、軍隊の存在を前提にした議論にイデオロギー的な問題がないとは言わないが、それにしても、「アメリカの軍事力によって破壊される側の「経済」がまるで登場しない」とか書かれると、直接対決した相手方を分析した例はないとしても、アメリカがアルカイダに戦闘技術を教えた過去に触れたり(P.311)NPTの理念を蹴っ飛ばしていることをチクリと刺したり(P.389)していたりするなど必ずしもアメリカ万歳ではない内容なので、石川氏が斜め読みしかしていないのに書評を書いてしまった疑いは避けられなくなる印象である。orz

そして何より重要なポイントは、この本のような発想は、戦争についてイデオロギーではなく実利という枠組みで考えるための材料の一つを提供できるという点に求められよう。経済理論はアメリカの利益のためだけにしか使えないものではない。たとえばPKOについての章(P.295〜)にある、平和維持活動が公共財だという考えが正しいなら、日本国憲法9条と、日本国内の適当な反対派の言論を援用して他国のPKOにフリーライドするのが日本としては最もお得な対応のはずなのだ。\(^o^;)/

といっても、ヒトもカネも出さない言い訳にはできないほど反対派が少数派になってしまったのが難点なのであるが。orz

その意味でも、言論の多様性が豊かである方が何かとお得なのである。

一段落?

メインマシンの起動ドライブ(C:)をパーテーションテーブルの不具合とおぼしきトラブルで、続いて250GBほどのデータが詰まったログドライブを操作ミスで飛ばしてからほぼ一ヶ月。どうやら再稼働可能な状態まで持ってきた。(が、細かいチューニングは後回しにしているので動かしているうちに不具合が出る可能性も高い。)


それにしても、今までWeb上で運用していたメールデータを端末上に引っ張ってこようとしたら、一万件以上という数字が出た。いあ、迷惑メールもお構いなしに見る設定にしているからこうなるのだが、それにしてもこいつらを手動で振り分けることを思うと頭が重い。orz

飛ばしたログデータの容量の多くはサンプルエロムービーだが、ため込んだ期間で言うとアスキーネット開びゃくから数えて20年分ほどのテキストベースのログデータがごっそり飛んだのが痛かった。ベランダ菜園用のプランターとかを購入するつもりにしていた大枚数千円の資金を緊急投入してかちゅーしゃのログの一部とかを拾い出し、なんとか元通りに巡回できるようにならないものかと頑張ってみたものの、*.IDXファイルが軒並み壊れていておまけに修理方法もわからなかったため結局新規まき直しとなっており、いまだに往時の巡回スレッドを網羅しきれてはいない、というか、巡回登録していた千を超えるスレッドの明細など記憶しているはずもないわけだが。orz

しかも二度あることは三度あるという。主要データ待避用ドライブ二台は既に寿命が近いとのご宣託が下っている。おまけに現起動ドライブはあまり健康的でないと診断ソフトがのたまっている。そういうこともあって戦々恐々とこれを書く。(;_;)