このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

サヨ<FONT size="1">(左様)</FONT>か?

あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 2005年10月28日(金)小田島隆の「昨今の愛国心事情」。経由偉愚庵亭憮録金曜日, 10月 28, 2005ウヨ曲折

全共闘華やかなりし頃、「左翼思想」が当時の若者(←銘記せよ。「若者」という言葉を使う人間は、既に若者ではない)の心をとらえた主たる理由は、それが「反抗の象徴」だったからだ。

それは違う。当時の日本は現在と違って貧乏だった。今で言う発展途上国経済状況がそこにあったし、現在の中南米とかの左翼政権を生んだと同じような、発展途上国的経済状況をベースにした政治状況もあった。当時の若者が左翼的であった理由は、周囲には貧困があふれていたからであり、せっかちな若者の目には、当時の国の指導者らがその貧困をなんとかしたがっているようには見えなかったために、若者は急進派に走ったのである。

しかし当時のいわゆる保守派政治家達は現在と違って、左翼思想の蔓延の裏事情を正しく見抜いていた。金持ちが増えれば左翼は減る。そういう考えに基づいていたかどうかは知らないが、イデオロギー対立はほどほどにかわしながら経済成長路線を突っ走った。

そしてその策は当たり、俺みたいな貧乏に基づく左翼は減った。これがことの真相である。

だから俺から左翼思想を取り上げたかったら、俺を金持ちにしてくれ。

それにしても、ついこの間まで真性貧乏国家あるいは低開発国であったという事情これほどまでにきれいさっぱり忘れ去られてしまうというのはなかなかに驚異である。というか、思い出は美しいとばかりに、貧乏な時代よもう一度ってな逆噴射経済政策は、高度成長でも底辺から出れなかった身にはすげー過酷なんで、ここらでええかげんやめて欲しいんですが。m(_@_;)m