このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

政策は歪みを伴う。然り。で?

金融政策論議の不思議(12) 財政政策の必要性」で、馬車馬氏は

実のところ、あらゆる経済政策は資源配分にゆがみをもたらす。例えば、円安政策を取れば輸出業者は潤うが、輸入業者と消費者は損をする。インフレになれば、借金を抱えている人は得をするが預金者は損をする。ゆがみを作らずに世の中を変えることなど不可能なのだ。

と言い、それよりは政府が歪みをコントロール可能な財政政策の方がよりましだと結論づける。しかしちょっとまて。インフレの作り出す"歪み"は、今生じているデフレの歪みと比べてどうなのか。bewaad氏のFAQからデフレが生みだす歪みを引いてこよう。

現金を退蔵する人間が報われ、リスクをとって何かにチャレンジしようとする人間(その心意気をアニマル・スピリット(byケインズ)と呼ぼうが、起業家精神(byシュンペーター)と呼ぼうが)が損をかぶる社会

デフレ社会はこのようなものだ。そして、左寄りを自称する私が言うのも変かもしれないが、このような社会が望ましいものだとは、到底思えない。理由の一つは、デフレに伴って劣悪な雇用環境が続いたことによって、人的資本あるいは労働の劣化が起きているあるいは起きることが懸念されており、それは潜在成長率の低下という本物の構造問題を生んでしまうからだ。(最近のドラエモン氏の発言)この害の大きさは、馬車馬氏推薦の財政政策が生みだす"ゆがみ"の比ではない。

1人当たりの実質生産高を十分増やせるならば、老人や子供のような生産することができない人の割合が増えても養って行けるだろう。(*1)しかし、1人当たり生産高を減らすようなことをすると、扶養の困難さは段違いになる。効率の上がり方が十分ならば自分の取り分を増やしつつ老人や子供などに分け与えることができるかもしれないが、効率が上がらないか下がってしまうならば、手取りを減らさずに他人を養うなどはなから無理なのは明らかである。そして、長期のデフレは効率の上がり方(潜在成長率)を下げる。



そもそもデフレ社会では、苦労して新製品を作るべき理由はない。より有効に資源を生かせる機械などの開発に投資するより、金を握って離さない方が得だからだ。これでは資源の有効利用が進むわけがないから、潜在成長率が維持できる道理はない。



わざわざ困難な道を選ぶようなマゾ趣味は、少なくとも私にはない。だから、まずデフレをとめよ、と言うのである。

注1:

高齢化と少子化を同時に眺めれば、非生産人口と生産人口の比はさほど大きく変化しないという議論もある。(「「構造改革」という幻想」山家悠紀夫/岩波書店P.127〜「社会の高齢化と国民負担、基本の考え方」P.129図表5-9「年齢区分別、人口構成の変化」など。)

しかしこの手の議論も、今までと同程度の生産性の上昇が見込めることを前提としていることが多く、その前提が崩れれば将来設計が段違いに困難になることには変わりがない。