このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

学校が診断書すら認めたがらないわけ

以下の2例は、診断書を提示して配慮を求めても無視されるという話。

【見つけた! みんなが輝く教育】診断書があっても信じてもらえない (1/2ページ)(魚拓)

ブックマークコメント:[教育][福祉]「担任は「特別扱いはわがまま」」断言しておくが、これが日本のスタンダードである。orz 文句があったらバカの学校に行け、とか言ってくれればマシな方で、たまたまIQが高く出る子は普通学級で苦行を強いられるのだ。

服巻智子公式ブログ〜人は必ず成長する!:困ったチャン教師ファイル#1

ブックマークコメント:[教育][権力][福祉]6つ下のサンケイニュースと同じパターン。状況の違いから、別のケースであることは明らかで、診断が学校によって無視されたのが表面化したケースが国内に少なくとも複数例あることは確実。決して希少ではないはずだ

アスペルガー講座(222)告知その1

こちらは診断を利用して学校の負担軽減を謀る例。

いずれも学校や教師の対応に問題があるのは事実だが、それなりの比率で問題が多い対応がなされているのならば、その背景に別の問題が隠れていると考えた方が良いだろう。

採用時の競争率の高さなどから見て、どこかorzのように不正でも行われていない限り、それなりに優秀な人物が教師になると考えて良いだろうから、個人的資質の問題という線をとりあえず外すとすると、軽度発達障害者にまでは

学校としては、対応しきれない。(三番目のリンク先)

という可能性が最も高いのではないだろうか。

発達障害者支援法で支援すべきとされたとはいっても、その財政的裏付けはないのが実情であり(違っていたら指摘してください。m(_@_)m)、受け持ちの児童生徒に対して診断が下ったからといって人手が増えるわけでも予算が付くわけでもないのが現状であるならば、ただでさえ統制を強められている上に財政を絞られてギリギリで回っている学校業務をさらに過重にして燃え尽きるよりも、診断を無視してでも対応しない方が合理的というものである。

そして、もしこの憶測通りであれば、このトンデモな事態の真犯人は横着な教師などではなく、予算を付けない財務省(あるいは義務的経費を別枠で確保させない国会)である。

未来の働き手である子供の生産性を高めるには、十分な教育が欠かせない。本当の意味で将来の財政のことを憂えるのならば、ちょっとした配慮で生産性を発揮できるようになるはずの子らを、社会のお荷物におとしめてよしとするわけにはいかないのだ。

補足

kmoriのネタままプログラミング日記 2008-07-13

■[環境] 電力会社がどんな苦労をしているのかぐらい知っとこう

信じられないかもしれないが、電力会社は負荷を見ていて、常にちょうど必要なだけの電力を作って送っているのです。

この原理は結構単純です。手回し発電機おもちゃで遊んだことのある人ならわかりますが、負荷を重くすると、負荷のモータの軸と発電機の軸があたかも機械的につながっているかのように負荷の重さに応じて手応えも重くなります。(負荷が重くなった時に発電機のハンドルに前と同じ力しか加えていなかったら回転速度が落ちます。)



電力系統でも同じことが起きるので、回転数(周波数)が一定になるように発電機の入力エネルギーを制御してやれば、それすなわち負荷に見合った電力を送ることになるわけです。(実際の制御はもう少し複雑です。)



そこに付けたぶくま

技術, 環境 一応国家公認第三種電気主任技術者の俺が、このエントリは正しいことを保証する。( ̄^ ̄)(信じるかどうかはあなたの自由。orz)▼そういうわけでコンビニ深夜営業規制は二酸化炭素削減には逆効果なのだ。

この、ネタ味満載のコメントに、BUNTENのブコメ史上最大の★が付くというのは一体何なのだ(^_^;)、という話はともかく、kmoriさんのエントリへのブックマークに付いた、誤解を招きそうなコメントを拾ってみます。

コンビニは地球環境に優しかったのか・・・(vanish_l2さん)
これで、コンビニ夜間営業中止に対する分かりやすい反論が出来るのは有り難い。/ただ、その一方で「原発の安全性」みたいな目に見えないコストに関しては内在化されてない。(nettiさん)

コンビニの深夜営業規制は、原発依存度が高く・昼間の電力消費が大きい日本においては二酸化炭素の排出を増やす方向に働くでしょうが、そのことだけからは、終日営業のコンビニが地球環境に優しいとまでは言えません。ベースロードに使われる原発の発電量当たり二酸化炭素排出量が火力発電より少ないのは確かですが、原発が全体として環境に優しいかどうかについては、kmoriさんのエントリも私のブコメも何も言っていません。

なるほど。深夜電力節約しても省エネにならないって話の根拠はこれか。(kmizusawaさん)
昼間の電力使用削減はエネルギー節約になるが、夜間の電力削減はあまり効果がない、むしろ逆効果になることもあるというお話。ピークを削ってでも平準化することが重要なのは、お店にしても同じだろう。(kabutchさん)

ここでの話題はエネルギー節約(省エネ)ではなく、二酸化炭素排出の削減です。原発核エネルギーを使います。m(_@_)m



平準化はエネルギー効率を上げる、というのはその通りです。

ベースロードを原子力でまかない、人間活動の多い日中は太陽電池でカヴァー、ってあわせ技は出来ないのかな?(ryuzi_kambeさん)

それは可能です。(民家の屋根だけだと足りないかもしれませんが、未開発の屋根もまだたくさんあります。)



太陽電池はお天道様の都合によって電気を作るので、人間の都合に合わせるための(負荷追従用の)発電所をなくすことはできませんが、ベースとピークの落差が小さくなればシステム全体の経済性が向上します。受電端で売買同額にしても引き合うと考えられるゆえんですが、買い取り価格には上限が設けられているようです。

お風呂は夜11時以降、洗濯機も食器洗浄器も夜の間に回して、テレビも深夜番組ばかり見ている僕はエコロジーなわけですね。夜11時〜朝5時迄は電気代安いからケチってるだけだけど。(pQrsさん)

時間帯別電気料金は負荷平準化を狙ったものです。ケチってそれに乗るのは十分エコです。

「温暖化はCO2によってのみ起き」「CO2は火力発電によってのみ発生する」と思ってる人が少なくないような気が…。(iroseさん)

エアコンなしのアパート最上階住まいで、屋根に焼かれてまいっているため、屋上にスプリンクラーでも設置して冷やしてやろうかと思っている私は、地球最大の温暖化ガス「水蒸気」を増やそうと目論む大悪人。\(^o^;)/

…おあとがよろしいようで。orz

ネタにマジ検索される?

"太陽熱温水"でググると約9万件ヒットする。


しかし、その栄えある73番目(7/5現在)に「なんちゃって太陽熱温水器」がヒットするってのはどーなのよ。(^_^;)


…あれって、ネタだぜ。(^_^;)


そりゃ半分実用のつもりではある(そうでなければホース接続の手間を掛けてまで水を通したりはしない。)が、あの記事をたぶんマジで見に来る人がいた日には、真冬に制作し、直後にテストして骨折り損のくたびれもうけというオチを付けた甲斐がないではないか。\(^o^;)/

ちなみに真冬に比べれば風呂の炊きあがりまでの時間は10分以上短縮しているが、ややこしいのは、給水の温度もそれなりに上がっている(測ったわけではなく、手に触れた感じ)ので、太陽熱の効果を測るにはやはり温度差を見なければならないということである。


また、太陽熱を使わず、早めに水を張っておくだけでもそこそこ水温が上がるので、一端張った水をポンプで回す方法を取っている最近はますます効果がよくわからない状態になっていたりする。

かくなる上は面倒くさく温度上昇を実測してご報告するしかないかも、と思って100円ショップで温度計を買ってきた。(厳密にはタイマーで間歇運転している10Wのポンプの消費電力量分の熱=20kcal程度/140lの水なら0.14度ほど上昇、も引く必要があるが、こんなもん100円温度計の読み取り誤差の範囲未満であるのは言うまでもない。orz)


ある程度予想が付いていたとはいえ厳しいのは、夏の西日が射し込まないように配慮して建てられたわがアパートの角度である。ベランダは南西方向にあるので、北西側に沈む夏の西日はベランダを避ける。加えて夏は日中の光もほぼ真上から射すので、ベランダで日の当たる部分は予想外に狭く、日照時間も短い。


西日が当たらないのはエアコンがない拙宅にはありがたくはあるわけだが(といっても最上階なので天井はバッチリ焼ける。orz)ソーラーぬる風呂には若干不利なわけである。

さらに、私のズボラさという大きな障害が、まじめな報告の前に立ちふさがる。なんちゃって温水器の効果報告ははたしてできるのか? 梅雨明け・真夏を、希待(希に待つ、つまり、あてにしないで待つこと。)せよ。(^_^;)

秋葉原メモ

はてなブックマークより抜粋と補足。時系列順ではないので注意。

★J憲法&少年A★: ネット規制の動き本格化?

[政治]そーゆーろくでなし政府を変えるには選挙という迂遠な方法に頼るしかないわけだが、そのためには考慮すべきパラメータ大杉。チェックリストでも書こうかと思っているが頭が悪いので手すら付いていない。orz

でもってこれがチェックリスト用の覚書。

天漢日乗: 秋葉原通り魔殺傷事件(その9)「加藤の乱」就職氷河期世代の叛乱

[事件][格差][政治][マスコミ]「現状打破には話し合いより暴力が有効だということを証明してしまったツケ」何があっても突っ張るべきタイミングでうろたえて派遣対策を言い出す一部政治家とマスコミ。お前ら頭も度胸も無いだろ。orz

※コメント欄をぶくましているのに今さら気づくが★が付いているので作り直すのはやめる。orz

国家権力は一致団結の上で弾圧で突っ張るかと思ったらあっさりケツ割るバカが現れたのには驚いた。というか、ひょっとして今までの弾圧ですらそれなりの熟慮の結果じゃなくて単なるバカの証明だったってことか?

orz

問題は、このカイゼンに乗ったところで「生かさぬよう殺さぬよう」にあしらわれて終わりってこと。国民主権を確立しない限り自由は手に入らない。

反米嫌日戦線「狼」(醜敵殲滅): 派遣労働者諸君 自殺するな! 社会に復讐しろ!

[事件][格差][貧困][労働][政治]「社会に復讐しろ!」それはいいが、ではどうやって? ビンボに比例して力もないわけだが。orz

今のところの考えは、別個に並んで勝手に選挙行け、である。それでは勝てない? かもしれんが、俺の腹案をおすすめするのは性に合わない。みんなが自分なりに考えて行動できるようにならなければ、歴史が繰り返して終わりだろう。

天漢日乗: 秋葉原通り魔殺傷事件(番外編)医師が始めるキヤノン不買運動 経済財政諮問会議の医療政策に関する答申の件

[格差][経営][経済]知られてはおるまいが、偽装や搾取でできた商品が最安値である場合、それを買わないと生活が成り立たない貧乏人の自家中毒。orz

言い換えれば、あるレベル以下の貧乏人にはマネーボート(金銭投票=不買運動)ができない。政治の世界での選挙しか方法がない。

が、住民票がない状態になっていると選挙にも行けなくなるだろう。(ホームレスからはそのようにして選挙権まで奪っている。)そこをどうするか。

秋葉原無差別殺傷事件に隠れてるトヨタのどうしようもなさ - NC-15

[事件][政治]「「その企業が正しいかどうか」でモノを買って、「この政策でマジで正しいか」と考えて選挙権を駆使するしかない」で、なんとかできたと思ったら政界再編でガラガラポン、とかあるからなぁ。考えるのも大変。orz

いわゆる大連立騒動は今は影を潜めているが、2/3与党所属の衆院議員は今のままでは当選がおぼつかないことを知っているはず。そこをなんとかして当選する方法の一つが、選挙前までにガラガラポンに乗って誤魔化すこと。

なお、たわけ最高裁判事とかが入れ替わる期間まで考えると、数十年間は現体制を再建させないような執念深さも必要。

この事態に大きな責任を持っている公明党小選挙区で二股掛けとか勝ち馬乗りを企て、政権にしがみつこうとするだろう。公明党を変える力があるか(大困難)公明との連立拒否を貫ける(小選挙区制下ではこれも難しい)政治家・政党を見極めておく必要もあろう。

チャレンジする心 知的発達に障害のある社員が活躍する現場から

箕輪優子/家の光協会刊(福耳(三宅)先生の所にリンクがあります。)

結局、障害者個人個人の特性を見極めて個別対応してるからマニュアルらしきものはできていないし、他の企業で"同じやり方"が広がるわけでもないだろう、と見える。

著者は、初めてゴルフを習ったときの経験から「定型化の重要性を思い知らされた」と語っている(P.136〜)が、少なくともこの本は知的障害者をどのようにして企業の戦力にするかということを"定型化"して語った本ではない。むしろ「特別なことはしていませんよ。社員の意欲に応えて教育したら、できる人がいたので、担当してもらっているだけです。」(P.11)ほか、随所で"企業で普通に行われていることやっただけだ"という言い方がされる。

一方ではこの「定型化」(P.134〜)のように、それなりのノウハウがあるらしいこともうかがわれるのだが、一方で「私たちに知的障害者の就労についての一般的なことを尋ねられてもわからない。私たちがお話しできるのは、たまたま私たちが採用した十八人の社員と気持ちよく仕事をして、会社が収益を上げているという事実に過ぎない。」ともおっしゃられる。一見謙遜とも取れるが、少なくとも"知的障害者の雇用について"という形での"定型化"ができていない(成功は著者の職人芸による)か、知的障害のない人に"定型"を与えるのはふさわしくないなどの考えから定型化を忌避しているかのいずれかであるように思われる。

いずれにしても"定型化"がなされていないのであるから、他の企業や作業所等での応用には結びつかない。著者並みの天才か、経験と思考力を併せ持った担当者が読めば「社員の認知スタイル毎にアプローチを変える」ことができるかもしれないが、いずれの持ち合わせもないふつーの読者は、初めてゴルフを習ったときの筆者(P.136〜)のごとくわけのわからないままであるにもかかわらず、すばらしい話を読んだ、とか感動して、それっきり(ないし、悪ければ、自分の会社はなぜこうもうまくいかないのかと悩むこと)にならざるを得ないのである。orz

思いっきり辛 口批 評にしてあるのは、誰か定 型化をやってくれないかという期待からです。筆者を貶める意 図はありません。むしろ尊 敬します。

クソッタレブロガー(←俺)による独裁削除方針

極東ブログ 2008.06.02「もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。

finalventの日記 2008-06-03そういえば

派生

ポスト・ヒューマンの魔術師「finalvent氏の「ブログ・クソッタレ撲滅ルール」の致命的な弱点。

この、魔術氏の作戦が有効に機能するのは、公平ないし公正であるという評価を望んでいる「クソッタレ撲滅ルール」採用者に対してだけである。のように、独断と偏見が基準だと公言するような輩には効果がない。"ああそうだよ、お前が気に入らないから削除した。何が悪い?"と言ってしまえばそれまでなのである。

kikulogなどと違って跡形もないように処置しているから信じがたいかもしれないが、実際、意見の違いであると言えるコメントでも場合によっては容赦なく削除してきている。基準は独断と偏見であり、俺の目から見たブログの平穏が全てなのである。

それでは言論の自由とかそのへんはどうなるのか、という批判には昔からこう答えてきている。そういうものはネット空間全体の課題であるから俺のブログに個別に求められても困る。文句があるなら自分の所に書け。書きたいことを書くことを禁止されていない場があるならばそれでクリアだ、と。


独占時代のNIFのフォーラムのように、特定個人が管理する場がすなわち公共の場であると言えた特殊な状況ならば場の管理者に公平性を要求できるかもしれないが、俺はその当時から場の乱立によってネット全体としての公平性を保つべきだと主張していしそぺ方面から総スカンをくらっていたから、この立場はそのころから一貫しているのだ。( ̄^ ̄)

俺の評価が下がることについては問題ではない。というか、俺はもともとそういうキタナイ奴だという自己認識を持っていて、それに合致する評価をいただくことに異存はない。ありがとうと言うくらいなものなのだ。

「自閉症の現象学」村上靖彦/勁草書房

lessorさんとこ経由。よくわからないので手に取った本だが、教養のなさが災いしてか、結局よくわからないままだった。orz

専門家のlessorさんに「かなりとっつきにくい」と言わしめた本なのだから無理もないとも言えるわけだが、一方で、「明確にずばりかいてる記述がおお」いとするブックマークコメントを残している人もいるのがなんか悔しい。(^_^;)