このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

第一回ジヘー裁判

少なくとも日本では、裁判=穏やかでない(険悪な)状況、というイメージが付いて回るので、総長には申し訳ないのですが、裁判になぞらえて話を進めるのはわたくし的には好きではありませんです。m(_@_;)m



で、本題に入らせていただきます。



今回の話も、健常者と自閉人の間に起きるコミュニケーション不全(?)の一つの表れだろうと私は見ております。



確実なのは、

1.リークツ監督には一片の悪気もなかったこと。

2.しかし、健常者からは、リークツ監督は悪気満載のようにしか見えないだろうこと。(orz)



ですから、悪気の有無を問題にすると水掛け論にしかならないと思います。



ここでややこしいのは、自閉症者は、健常者であれば誰でも持っている"相手がどのように感じたり考えたりするか、ということを感じる力"を持っておらず、相手の気持ちを察することができるように見える人でも、実は感じているのではなく推論しているらしい、という事実です。



従って、自閉症者に対して、相手のことを"察してやれ"(相手のことを考えた議論の展開や言葉遣いをせよ)というのは、無理な話(控えめに言っても、健常者が同じことをするより格段に難しい話)ということになります。



しかし、それができなければ、お互いが大きく傷つくこともまた事実なわけです。



リークツ監督にしてみれば、議論に白黒付けたいのはやまやまでしょうが、現実的な解決というか、ある意味卑怯な妥協策としては、相手が嫌がったら (もう書かないとかうちには書くなとか言ったら)自分にとって興味深いテーマの解明が残されていても、そこで話を打ち切る、という方法が考えられます。 m(_@_;)m



投稿 BUNTEN | 2008年9月 5日 (金) 18時31分

>>自分の好きなものを「批判する!」などと

>>宣言されていい気がするわけがない。

>

>それは信じられない(;O;)

>私はみんなに発達ウォーズを批判してほしいと思ってるのに。



このことについて述べさせていただきます。



>投稿 BUNTEN | 2008年9月 5日 (金) 18時31分



の冒頭で、「裁判」という言葉についてまわるイメージについてお話ししました。



実は、「批判」という言葉にも、辞書的な、相手の論旨について述べるという意味以外に、相手の論旨や、場合によっては人格まで"否定する"というイメージがつきまとっています。



大上段に振りかぶって"批判する"と言われると、あまりいい気がしないと感じる人が多いであろうことの、これが理由です。m(_@_)m



投稿 BUNTEN | 2008年9月 6日 (土) 07時41分

おまけです。



このように、言葉には辞書的な意味と言葉についてまわるイメージの二つがあるわけですが、自閉の人は表面上言葉を自由に操っているように見えても、イメージの方を掴む力に欠けていることが多いため、いわば辞書的な意味だけで会話してしまうわけです。



ところが健常者の方は、自閉の人の言葉に、自閉者が込めていない、一般的なイメージが乗っているものであると自動的に受け取ってしまい、それに反応してしまうわけです。(なので、自閉者は"俺の込めていない意味を勝手に付け加えるなよ"、と言いたくなるかもしれませんが、それもまた無理な注文だったりします。m(_@_;)m)



というわけで、一見同じ日本語使い同士の会話でありながら、自閉者と健常者の会話を誤解無く行うのはとっても難しかったりするのです。m(_@_)m



投稿 BUNTEN | 2008年9月 6日 (土) 07時53分