このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

生産者責任?

lessorの日記 2006-05-07■[ニュース]またか 00:49
経由
「介護に疲れた」母親、娘を殺害 GWで一時帰宅中

このニュースを受けたlessor氏は

本人や施設職員の悔しさはいかばかりか。

と書いているが、私はニュースの以下の部分

知的障害のある長女(33)を殺害
調べに対して佐藤容疑者は「自分が死んだ後の娘の将来が不安だった。産んだ責任は自分にある。介護に疲れた」などと話しているという。

を見て、たまらない気持ちになった。

一般論としては子育ては生んだ親の責任ということにされているが、障害を持った人はある割合で生まれてくるものであり、仮に親が通常の子育てには十分な能力を持っていたとしても、障害の程度あるいは内容と親の力との関係によっては、親が限界を超える努力をしてもなお子を支えきれないということが起こりうる。

そのような場合にも「生んだ責任」を問うのが過酷であることに正面切って異論をはさむ人は少なかろうが、経済的または肉体的な親の負担を「健常」の子並に減じるような制度が整備されているとは言い難く、そのことが障害児の親に重い精神的な負担をかけているケースがあるだろうことは、鬱病患者に障害児の親が多いという話があることからも想像が付きます。

本人や施設職員の悔しさ、それはもちろんあるでしょうが、加害者になった親も、障害者の面倒は社会全体で見るという建前はあっても実態は圧倒的な不足、な制度の犠牲者と言えそうな気もします。中には親の責任を問うのが妥当なケースがあろうことまで否定はしませんが、障害者の親とその他の人の鬱病率が同じになるまでは、まず政治が責任を問われるべきだと思います。

追記

この記事は某所での公開のみにとどめるつもりでいましたが、Freezing Point 2006-05-09「アイ・メンタルスクール」入寮生死亡事件情報

1993年、精神病院である大和川病院で患者不審死事件が起こった頃、詰め掛けた報道陣に「あんたたちは、正義の味方でいいわね。家族はそれではすまないのよ!」*1と悪態をつくご家族が映っていた

という記事を見たため、公開レベルを一段上げることにしました。m(_@_)m