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懸念

副題:閣僚の核武装議論容認発言と文科省やらせタウンミーティング

麻生外相などの"核武装議論容認発言"が一部から叩かれております。しかし彼の発言は、

愛・蔵太の少し調べて書く日記 2006-11-05■[時事]日本核武装論ってそんなに盛んだったのか。あと麻生太郎氏の発言は会議録のほうが面白い によれば

基本的に言って、なぜ核を持たないかという話をもう一回きちんと頭の整理された国会議員って何人ぐらいいらっしゃいますでしょうね。もう、あの時代えらくやらされたときにおられた方、今ほとんどいらっしゃいませんから。何となく持っちゃいかぬというような固定概念だけでやるのは甚だ危険なんであって、なぜ持たないかという理由をきっちり議論をしておいた方がいいと私自身はそう思っておりますんで、議論というものは、言論封殺みたいな話、やたらはやるのは多いところですけれども、私はこういった話は堂々ときちんとされた上で、納得をされた上でというところが一番大事、したがって議論は封殺されるべきではないと、基本的にそう思っております。


(第165回国会 外交防衛委員会 第2号 平成十八年十月二十四日(火曜日))

というものだそうで、ここだけ見れば極めて当然というか常識的に見える。で、この線に沿って

議論すること自体がいけないということはとうてい是認できません。核保有議論=核武装という子供でもおかしいと思うような飛躍した話を声高に叫び続けるマスコミも政治家も完全にいかれています。


(社長の本音日記2006年11月11日救いようのない日本のマスコミと政治家)

などの批判が出てくるわけです。

しかしながら、おそらく麻生氏らを批判する側には、この「議論」という言葉が、麻生氏の発言からイメージされるような、正々堂々としたものには見えていないのではないか。端的に言えば、違う部署とはいっても、同じ政府内の文科省タウンミーティングでは"やらせ"が行なわれたわけで、こんな有様では、麻生氏の言う「議論」は、実際には世論誘導のことではないか、という疑念を持たれても仕方がない面がある。


ここで首相が、民主主義の前提を危うくした廉で文科省"やらせ"関係者のクビの総取りをする位の指導力を発揮するならば麻生氏の発言も額面通りに受け取られるのだろうが、そーゆーことはまず期待できそうにない気がするのはなぜだろう。orz

アメリカ中間選挙でのブッシュ大敗は、イラク戦争での"ウソ"に対する批判と見られるが、日本で嘘つき政治が批判されて政権交代、という話になりそうにないのは、一部にある"政治にウソはつきもので、騙される方が悪い"的発想のせいではないだろうか。お国の将来のためには、こういう発想を一掃する政治改革こそ望まれるように思う。