このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

資源枯渇への対処

アシスト コラム(Our World) No.731 石油高騰はピークオイルにある



対照:底なしのビールジョッキ



今が世界の石油生産はピーク、ないし遅くとも目に見える将来(数十年?)で石油は枯渇すると見られるのでそれに備えているというトッテン氏。



石油生産のピークが現在(いま)前後なのかそうでないのか、といったことははっきりいって私にはわからない。私にわかるのは、昨年度の冬の灯油の値段は高かったことや、トッテン氏が引き合いに出している納豆の値段にはさほどの変化が感じられないこととかである。



来るべき危機に備えておくのは、それが可能ならば有益であろう。しかし、保険には掛金が必要であり、保険をかけておくメリットが掛金を上回るかどうか微妙であるならば、保険を掛けておく方が利口かどうかは判断できない。



世に地震保険というものがあるが、特定地域で将来地震が起きる確率を自信を持って予想できるほど人類の地質学は進んでいないので、それに見合った料率や保障しか提供されていない。地震ですらこうなのだから、石油枯渇がどれくらい先にどれくらいの確率で起きるかについては、学者間での意見の一致はたぶん見られていないだろう。



石油枯渇に張るかどうかは保険というよりバクチの領域ということになると、賭ける余裕の有無が問題になる。でもって、ここの読者には羞恥周知のようにBUNTENはど貧乏である。ならば、石油枯渇に張るのは正しくない。もちろん、石油が持つ方に張るのも考え物だが、そこらのバクチはある程度なら先物市場が代わりに張ってくれるし、その配当はいずれ灯油や納豆の価格という形で受け取る羽目になる。ならば、専門外の事柄で背伸びして先を見通す努力をする代わりに、貧乏人らしく、安い物を選んで買う努力(?)を続けていればよいのではないだろうか。

注意:

石油エネルギーが枯渇したとしても石炭も天然ガスウラニウムもある、だろう。しかし、人類の生存に適した地球環境も、枯渇が心配されている資源の一つである。そっちの制約条件もあるので、仮に石油が無限にあったとしても無軌道に使っていいということにはならない。地球環境の消費に適切な価格を付けるのは専門家にとってすら難しいことかもしれないが、簡単にできる安物買いの努力とちょっと難しい環境保護の努力の方向を一致させることを通じて、人々にとっての環境保護の難易度を劇的に下げるためにはやっておかなければならない作業なのである。