このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

余はいかにして法難に遭ったか

ぶくまコメントを朝書いて、あっという間にスターが付きまくる。お前らそんなに人の不幸を見るのが嬉しいか。(たぶん違うけどひねくれ者の俺的にはそういうことにした方が筆に力が入る。)ならばここでこっそりぶちまけといてやろう。(言うまでもないが、これから書くことはあくまで俺の目から見たばりばりの主観であって、事実の一面を切り取ってはいるだろうが、歴史的正確さは一切保証の外にある。)

事の起こりは俺の幼少のみぎり、俺はいじめられっ子で問題児だった。ちょっとからかわれるとすぐ大泣きするので、いじめの標的にはもってこいだったのだが、なにぶん世界大戦の湯気が残っていた時代だったからなのか、学校でいじめっ子側が指導を受けることはほとんどなく、俺の方に問題があるという認識が一般的であった。

"問題児"である俺に困り果てた親は、ある宗教に手を出した。今でも、経文をぱらぱらと振る(どのように表現すべきかよくわからない。)お祓いを何度か受けさせられながら、こんな無駄なことをするヒマがあったらいじめっ子を捕まえて叱らせろよ、とか感じていたことを鮮明に思い出す。

お祓いに効果はなくても、子供はそれなりに成長する。成長によってからかいに対する耐性も上がってくるわけだが、お祓いが効いたと考えたか、あるいは修行がよかったと考えたか、そのへんはわからないが、とにかく親は某宗を信じ込んだ。

長じた俺に問題が生じると、ブックマークコメントに書いた"お札(ふだ)を呑む"ことをすすめることがたびたびあったが、一応大人の俺は頭ごなしに"そんな非科学的なもん効かん"と蹴飛ばしていた。

しかし本当に頭を抱えたのはその時ではない。こともあろうに体調を崩していた元女房(当時は現役)に、お札を呑めとすすめたというのである。女房(あくまで当時orz)は立場上断り切れずに呑んだということを、呆れてかつ恨みがましく俺に語った。(言うまでもないが、偽薬の類は信じていない者が呑んでも効果は発現しない。それどころかものによっては逆効果である。orz)

むろん親は善意でそうしたのだし、信じるに足る事情も十二分にあったわけであるし、元女房のつらい立場もまたよくわかるのだが、善意で無料だからっちゅーて、何をやってもいいわけではむろんない。しかし、関係者の心をずたずたにするなどとは思えない人もいるからこうした善意の押しつけが成り立つわけである。(念のためだが、親が悪いと言いたいわけでは決してない。心遣いはありがたい。)

これは科学的などうこうのレベルの問題ではない。人間関係というか社会の問題、それもいわゆる権力関係というか、社会的な力関係がある所で何らかの問題を抱えた下位者に、上下関係があるからといって遠慮することなく、ニセ科学ないし信仰(あるいは迷信)をすすめていいものか、という、実に頭が痛くなるというか、できれば考えたくないような、そういうややこしい問題だったりするのだ。

信じる信じないの問題で済むのは自分の中にとどめておくときだけだ、と俺が言うのは、そういう問題を体験したという事情によるのである。orz