以下の2例は、診断書を提示して配慮を求めても無視されるという話。
【見つけた! みんなが輝く教育】診断書があっても信じてもらえない (1/2ページ)(魚拓)
ブックマークコメント:[教育][福祉]「担任は「特別扱いはわがまま」」断言しておくが、これが日本のスタンダードである。orz 文句があったらバカの学校に行け、とか言ってくれればマシな方で、たまたまIQが高く出る子は普通学級で苦行を強いられるのだ。
服巻智子公式ブログ〜人は必ず成長する!:困ったチャン教師ファイル#1
ブックマークコメント:[教育][権力][福祉]6つ下のサンケイニュースと同じパターン。状況の違いから、別のケースであることは明らかで、診断が学校によって無視されたのが表面化したケースが国内に少なくとも複数例あることは確実。決して希少ではないはずだ
こちらは診断を利用して学校の負担軽減を謀る例。
いずれも学校や教師の対応に問題があるのは事実だが、それなりの比率で問題が多い対応がなされているのならば、その背景に別の問題が隠れていると考えた方が良いだろう。
採用時の競争率の高さなどから見て、どこかorzのように不正でも行われていない限り、それなりに優秀な人物が教師になると考えて良いだろうから、個人的資質の問題という線をとりあえず外すとすると、軽度発達障害者にまでは
学校としては、対応しきれない。(三番目のリンク先)
という可能性が最も高いのではないだろうか。
発達障害者支援法で支援すべきとされたとはいっても、その財政的裏付けはないのが実情であり(違っていたら指摘してください。m(_@_)m)、受け持ちの児童生徒に対して診断が下ったからといって人手が増えるわけでも予算が付くわけでもないのが現状であるならば、ただでさえ統制を強められている上に財政を絞られてギリギリで回っている学校業務をさらに過重にして燃え尽きるよりも、診断を無視してでも対応しない方が合理的というものである。
そして、もしこの憶測通りであれば、このトンデモな事態の真犯人は横着な教師などではなく、予算を付けない財務省(あるいは義務的経費を別枠で確保させない国会)である。
未来の働き手である子供の生産性を高めるには、十分な教育が欠かせない。本当の意味で将来の財政のことを憂えるのならば、ちょっとした配慮で生産性を発揮できるようになるはずの子らを、社会のお荷物におとしめてよしとするわけにはいかないのだ。