例によってバイト疲れの書き逃げ失礼。m(_@_)m
まずポインタ。(ここまで読んだ時点で打鍵)
よたよたあひるの日記
2007年09月11日
「発達障害をもつ人」は誤解されやすい
2007年09月13日
Re: 13 日の日記
2007年09月14日
ノン・バーバル・コミュニケーション
校長日記・・学校おやぢつぶYaKi
2007年09月13日
発達障害の診断が関係を混乱させる ケース1
発達障害かどうかで両親が言い争い ケース2
で、気になるのは発達障害の子供ないし児童生徒のケア体制ないし将来に繋げるサポート体制ってどうなっているのだろうかということ。まず、少なくともおやぢさんの学校では系統的ないし体系的なサポート体制がないであろうことは想像できる。次に精神科方面でも、今までは統合失調系の方へのサポートが主力だったらしく、発達障害者へのサポートは発達発展途上であるらしいことはよたよたあひるさんの4/14とか6/28の記事でわかる。
このへんから推して、系統的なサポートはおろか、疑いをもったり診断を受けたりしても、子供の将来がどうなるのか、ないし将来に向けてどうすればよいのか大局的視点で伝えてくれるようなサポート体制はないか、あっても希少資源と化していて大半の親は放置されているのではないかと憶測される。
そうであるならば、わらをもすがるように
「これからこの子を抱えてどう生きていったらよいでしょうか」との質問(ケース1)
をおやぢ先生に投げてみたくなるだろうし、診断を受けてもその後事実上放置状態というかサポート体制がないのであれば、(参考:「自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく」ニキ・リンコ+仲本博子/花風社 P.35〜<トニママ、語る パート1>早く診断受けてよかった 特にP.43付近、というわけで、少なくとも90年代までは実際に放置に等しかったようだ。)
診断を受けるかどうかで対立(ケース2)
してしまう両親が出てきてもおかしくないだろう。
最近でこそ発達障害というものがあると知られるようにはなってきたが、国内でのサポート体制構築はおそらく始まったばかり。文科省もそう簡単に予算を取っては来れないだろうとは思うが、だからといって学校に知らん顔をしてほしくはない。
工業化社会では計算能力などの"知能"が職業生活に不可欠とされたが、産業のサービス化によって社交能力がいわゆる知能に取って代わりつつある。そのため、今後発達障害の問題が知的障害をしのぐ問題となるであろうこと、そういう発達障害者のサポートのためには学校段階でもきちんとした体制を組まなくてはならないこと、それにはどれくらいの予算が必要であること、などをきっちり主張する役割を、おやぢ校長先生に期待するのは荷が重いだろうか。m(_@_;)m
9/15追記
タイトルの「よたよたおやぢ」は、肉体系作業でへろへろになったBUNTENを指すものであって、おやぢ校長先生のことではありません。m(_@_;)m