法的視点と政治的視点

のびたさんからのコメント。見やすいようにまるごと引用させていただきます。m(_@_)m

仮に、ビラをまいたのが共産党以外の政党であれば、そもそも事件化しなかった(スルーされた)ように思います。


>ことは思想信条だの表現だのの自由がからむ、民主主義の根幹にかかわる事件でもあるだけに、深く専門的な考察が望まれるような気もするわけである。m(_@_)m


おそらく、最初から結論(判決)は決まってるのでしょうから、財産権・表現の自由の位置付けやマンション住民の考えの考察などよりも、何故、共産党は裁判所・警察・検察に差別的対応をされるのかという考察が望まれるように思います。


投稿 のびた | 2007.12.13 02:12

事件についての基本的認識は正解だと思いますし、共産党が「何故、共産党は裁判所・警察・検察に差別的対応をされるのかという考察」をすべきだという点も、政治的な問題としてならあり得る設定だとも思うわけです。(というか、その筋の問題設定については、ガチンコ勝負を華麗にスルーという言明で、あえて触れないことにした、と言っているわけです。)

しかしながら、法治主義といったものが、君主なり多数者なりの横暴をいかに抑制するかという問題意識を出発点としていることを考えた上で法的な問題として捉えるならば、法の埒外での差別的対応はそれだけでアウトなわけですし、あくまで法の問題として扱う限り、法治主義の原則に沿って処理するという形式を踏むことが不可欠となります。(そこをすっ飛ばすと、「「擬制」の安定条件」を揺るがしかねません。)


そして、その原則から見た場合、財産権の優越みたいなことを言い出すのはいささかまずいのではないか。あえて差別主義者にヒントを与えるならば、住民の不安とかを根拠にして、不安のない生活を送る権利は政治的見解を広める自由に優越するとかいう構成にした方が、まだ形式にも常識にも則った処理になるのではないか、とか思うわけです。


しかし、報道通りなら、そこらへんの注意すら払われておらず、それどころか財産権至上主義なわけですから、読みようによっては儲けのためなら偽装でも思想弾圧でも何でも、何をやってもいいとも取れるわけで、これはさすがにまずいだろ、とか思うわけです。弾圧される側の俺が言うのもなんだけど、言論弾圧の理屈としては最低級。頭悪いというかもっとうまくやれ(いや、うまくやられても困るんだけど(^_^;))というか。

ちなみに、多数派万歳ではうまくいかないケースがあることについては昔、苺でデフレで短期的な利益を得る人々と失業者とかを例にとって言ったことがありまして(たぶんこのへん。)、この手の弾圧はまんざら他人事でもない(笑)とも思っております。


…本当は、不安のない生活うんぬんという理屈に対してこっちの話をぶつけるつもりだったのに、なんてしょーもない判決出すんだよ。orz