lessorの日記 2006-05-18■[近況]障害程度区分 23:12
障害程度区分の判定ソフトの判定結果を見たlesor氏。支援の必要性とほとんど無関係で
車イス利用者の判定が極端に高く、行動障害のきつい利用者の判定が極端に低い。
結果が出るらしく、
きっと精神障害の方たちなんて、ほとんどが区分1や非該当になるんじゃないだろうか。
と述べておられる。
ひょっとしてそれは、精神障害とか行動障害(ないし知的障害)に金を出したくないという政策担当者、ないし(悪くすると)その背後の国民の意向に沿っているだけではないのか。
車イス利用者の判定だけが高い(肢体不自由者ではなく、あえて車椅子利用者と表現されている所からすると、もしかすると足は動くが手が動かない人より車椅子で動ける人の方が判定が重くなるのか?
(^_^;))のは、そこを削ると障害者迫害だという世論が起こるだろうから恐いということに過ぎないのではないかという疑いを強く持たざるを得ない。裏を返せば、世間に障害者と思われにくい障害者のことなんか知ったことか、という意図が透けて見えるわけだ。
同じくlessorの日記から、2006-05-15■[近況]大人たちの間違った情熱 22:57
知的障害ないし自閉障害を持つ子供の目標のひとつを
「無理難題を言われ」てもキレるのではなく、
イヤなことは、イヤと言えるようになっていけばよい
という所に置くlessor氏。ちなみに周囲の子に求められるのは、障害を持つ子の気持ちをくみ取ることができるだけのコミュニケーションスキルである。(関連)
だが、一部の権力者らは"イヤなことにも黙って従え"というがごとき押しつけ方針を強めている。本人の気持ちや都合より形式を押しつけることの方を優先し、従わなければ処分というのでは、ならぬ堪忍するが堪忍とばかりに耐えている人は多いが、障害を持たない大人であったとしても、キレるなという方が無理ではないかという気がする。m(_@_;)m
ここで見くびられているのは
こういう方針を出して恥じない為政者を除いた全ての国民なのではないだろうか。
念のため注:
「できるけど、しない」というのは一般に責められることだろうが、「できるから、する」「できるから、しようと思える」ということもまたひとつの能力
自信を持てるのも一つの能力、とかいう話を聞いているので、というわけでもないが一票。
このへん、外から見えにくいだけに理解が得られにくいパートだとしみじみ思う。最近でこそPTSDとか何とか、そのへんの、一見"能力"があっても足が踏み出せない系の障害もあることが知られるようになってきてはいるが、傍目に見えない脳内のことであってみれば、その手の障害は後天的なショックでしか起こらないと言い切ってよい理由はない。ある種の障害が後天的に起きるのであれば、最初から脳がその種の故障状態で生まれてくるケースもあると考えておいた方が無難というものであろう。
傍目になまけているようにしか見えないために苦しんできた病人や障害者は多い。障害を持たない者は、せめて聞く耳ないし障害者の気持ちをくみ取るコミュニケーション能力を持つべきであろう。
本日のURLメモ
極私的脳戸/日々の与太19 May 2006スノッブなマナー、パブリックなプロトコル
ついこの間も、「よみうり教育メール」というメイルマガジンで、
茶系の地毛を黒染めにせよと"指導"された中学女生徒の話があったらしい。orz