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人間関係を選べない学校制度の欠陥

大石英司の代替空港2006.03.20愛国心を考える ※ 小5自殺:男児が女性教諭名指しの走り書き 遺族明らかに

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小5自殺:男児が女性教諭名指しの走り書き 遺族明らかに

男児は昨夏ごろから担任との関係が悪化。9月以降、何度か泣きながら帰宅し、家族に「学校をやめたい」「持ち上がりの6年生になっても同じ先生は嫌だ」などともらしていたという。家族はその都度「先生の言うことをきかなあかんよ」と諭したという。


 自殺した16日は紙を丸めた棒を振り回していたとして、担任が男児の襟首をつかみ、強く注意したところ、興奮して教室を飛び出したまま戻らなかった。

男児の自殺の原因が何なのか、とか、この事故を水際で防ぎ得たのか、ということは触れない。


気になるのは、男児が担任を嫌がっていたにもかかわらず、家族は我慢するように諭すしかなかっただろう点。通常の人間関係であれば嫌な奴からは逃げるという手が使えるが、小学校という枠の中ではそれが事実上できなくされている。

私事になるが、自分の息子はある子から虐めの標的にされていたので、十分な監視や、教室を十分離すことなどを求めたが、いずれも容れられずつきまとわれ続けたため不登校に陥った。


いじめを止められないのであれば、いじめている子を我が子から引き離せ、という要求すら無茶なものとして扱われる一方、いじめに耐えられない我が子の方が特別な"指導"の対象にされるのは理不尽だと感じた私は、どうしてもこの件に同じ構造を見てしまう。

クラス替えの余地のない小規模校では困難かも知れないが、クラス編成では持ち上がりにこだわらず(児童生徒間、教師間を問わず)相性の悪い組み合わせは避けるとか、クラスないし学校に問題を抱えた児童が多いならば教師の数を増やして人海戦術で乗り切るとか、そういった対策を柔軟に取るべきではないのか。孟母三遷とかできるならばやってしまいたいが、何らかの理由で荒れた学校の現状を所与とされるのでは、おちおち引っ越せない貧乏人(とその子供)には死ぬ以外に逃げ道がなくなってしまうのだ。

わが子のことで学校と交渉していた時分に"おめーんとこのひ弱なバカガキだけ特別扱いするわけにはいかない"という強固な意志を感じたものだが、クラス編成や教師の人員配置での機動的対応が当たり前であればそれはもはや特別扱いではないはずだ。何十年も前から続いている画一的な扱いは、命は落とさないまでも幾人もの子供の将来と引き替えにしてでも守るべきものなのか。学校行政の担当者にはよく考えていただきたい。