談合のすすめ

権力者の側はえてしてそこで手を抜いて突っ張ってしまう、と、昨日書きましたが、日本も一応法治国家である以上、法的には利害関係がないとされている人たちの意向をあらかじめ聞いたり、あまつさえ何らかの補償を行なう、といったことを行政機関がやるわけにはいきません。


かといって法だけを考慮していけば最初に書いたような見え方になってしまいます。(ちなみに諫早に関しては佐賀県知事も発言しています。長崎県だけの問題ではないと考えているのは「左翼」だけではないのだった。)一旦大きな事故が起これば被害が広範囲に及ぶと想定される原発問題などに典型的に見られる、利害関係者の少ない田舎の面を札束で引っぱたいて建てている、などという批判は、法で想定される利害関係が狭い割に一旦事が起こった時のパニックではどんな被害が出るかわからない(古くは水爆マグロ、新しくは東海村の臨界事故における野菜などといった風評被害の例や避難騒ぎなど。)し、まして事故そのものならともかく風評被害の補償をや、といった懸念が裏にあるからではないかと思われます。

これを避けるには、現行水準を底上げした十分なセーフティネットを整備しておき万一の際の不安をやわらげる(今だったら生活保護も受けられず路上死、の確率がシャレにならないくらい高い)、とともに、政治的な決定にあたって現行レベルからすると過剰なくらいに合意形成に気を遣うことではないかと思われます。


かといって行政が法の範囲を超えた合意形成の旗振りをするのはまずいわけで、となればここはやはり政治の出番でしょう。対立する意見のそれぞれが代表を出し合い、場合によっては特別法を作ってでも被害救済を図るならば、行政が矢面に立って苦悩する場面は減るはずです。

しかし一つの問題は、現行制度(小選挙区制)では国家レベルにおいては、失業者のような"全国にまんべんなくいる少数派"の意見が反映されにくいことで、(リフレが実現しない理由の一端をここに見ることができます。)風評被害におびえる農漁村は地域ぐるみで面倒見れても、都会に散らばる不安な人々は救われない結果に終わることが予想されます。


思うに、比例代表制をベースにした国会で、談合に基づく政権が公開根回し政治を行ない、諫早におけるギロチン後のノリ不作のような、事前に予測できなかった(ということにしておく)ケースでは事後にフォローする(*)、といった鈍重な政治体制こそ、人口が多くて基本的には豊かな(言い換えれば多様な考えを持った人がいる、ないし考え方の広がりが大きい。)大国である日本にふさわしいのではないかと。m(_@_)m

*注:事後フォロー


たとえば反対派の求める長期大規模の開門調査も、裁判ではなく政治家の決断でなら実施可能だろうし、それで事業が滞っても、ないし中止に追い込まれるなどしても行政機関の責任は問われない。(というか、問われようがない。)


問題の一つは、財政の無駄が生じたとなると生贄を求められがちなことであるが、比例制下での、野党のツッコミがきつい談合政治での政治決断ならば決断した政治家を生贄にするのも難しくなろう。


かくして誰も悪者代表にならずに済む…はずである。(^_^;)

おまけ:諫早で談合していたら

諫早干拓とノリ不作の関係が取りざたされている理由の一つは、あの工事があまりに大がかりで、干潟の形成速度(bewaad氏ご紹介ページにも論点あり)を大きく上回っているのではないかと思われている点です。


調整池の水質がいまいちで、色違いの水が排水門から出るさまは周辺地域の漁民に不安を与えるには十分なインパクトがあります。(これが外洋に流れていくのだったらもう少し話が単純になっていたでしょう。)


洪水防止と優良農地確保のどっちもやりたい、としても、それが現行事業である必要はありません。ポンプ場を増強する一方でちまちまと小規模(現行事業比)な干拓を続けるという選択も、サヨクだなんだといった妙な突っ張りを超えたところで、国家的規模での談合政治が機能する状況があったならばあり得たのではないかと思うわけです。