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内心の自由

経済・政治・国際

しんぶん赤旗 2006年1月10日(火)「日の丸・君が代」裁判に見る/都教委の学校支配/内心の自由踏みにじる(一週間でリンクが切れます。)


生真面目な記事だが、実は紹介したいのはこれではない。これは、webに載らない「しんぶん赤旗」のコラム「潮流」のマクラ

靖国神社の参拝を「精神の自由、心の問題」と開き直る小泉首相に対し「私たちの精神の自由はどうなっているのか」と憤る人たちがいます。東京都教育委員会から「日の丸・君が代」を強制されている都立高校の教職員です▼

を紹介するためのマクラである。


都教委による問題の職務命令が有効かどうかは記事で明らかなように争いのあるところであるが、では首相の「精神の自由」ないしそれを行動に移す自由は制約がないのだろうか。


敗戦時に日本は軍国主義者の追放を要求したポツダム宣言を受け入れている。これは戦後国際秩序の基礎をなすものであり、戦後の日本国政府を拘束しているものでもある。

しかるに靖国神社は日本政府が公式に"国家を誤らせた犯罪人"としたA級戦犯諸氏を合祀しており、わけても遊就館なる施設は"大東亜戦争"全体の正当化を主張しているところである。


このような施設に日本国の首相が参拝するということは、"ポツダム宣言糞食らえ、東条英機閣下万歳"あるいは"世界征服の夢よもう一度"という考えを日本政府として表明するに等しい。


連合国の提示した降伏条件(ポツダム宣言)は日本国首相への職務命令ではないが、国際的な"お約束"としては現在も有効なものである。戦没者を祀ることに異議を唱える人は少なかろうが、当時大まじめに信じられた日本帝国の世界征服構想が正しかったし、今も追求されるべき理想であるとする現代日本人はそんなに多くはないのではないだろうか。

そこらの落差を埋める方法は、靖国神社がいわゆるA級戦犯の合祀をとりやめるか、首相がかかる施設への参拝を取りやめるか、二つに一つしかない。首相の内心世界征服であるのならば堂々と参拝すべきかもしれないが、もしそうならば小泉氏は戦争への反省とかこざかしいことを言わずに自分の首をかけて"東条閣下万歳"とか言うべきだろう。