Bewaad Institute@Kasumigaseki「福井晴敏「終戦のローレライ」と「戦後」の意味」
日本人の多くが共有するであろうプリミティブな倫理観の一つに、勧善懲悪的な因果律があります。善因には善果が報いるべきだし、逆もまた。
「べき」って何だよ。そんな現実離れした倫理観、俺は共有してないぞ、とか思いながら読み進んでいくと、戦後日本の繁栄をこの考えから見た一つに
2. 「今の栄華は偽りの栄華に過ぎず、そのうち悪因に相応した程度に落ちぶれる」と考える。(「善果」の否定)
ってのがあって、これでいくとデフレで「落ちぶれる」のは当然の因果であると。ちょっとまて、俺は自慢じゃないが絶頂期(笑)ですら年収300万(森永氏言うところの負け組の落ちる先)に満たなかったんだぞ、落ちぶれるもなにも、そもそも繁栄したことがない気がするんだが。m(_@_;)m
しかもその先には、
財政構造改革によっても相対的にダメージが少ない者にとっては、相対的にダメージの大きい者(例えば公共事業や補助金に負うところの多い者)を非難して財政を切りつめることは、自腹を切らなくても心の平安が得られますから、なおのこと魅力的な選択でしょう。
って追い打ちが。そりゃそいつらから見ればラクかもしれんが、俺みたいなのから見たら踏んだり蹴ったりってゆーんじゃないのか、それ。そもそも、善果だけ自分が取って、俺みたいな他人に悪果を押しつけるってのは、問題の因果律(ってゆーのか?)の否定じゃないのかよ。m(_@_;)m
bewaad氏は、リフレ策はこの「因果律」に逆らうものだと受け取られるだろうから実施困難とか話を締めておられます。なるほど自分はその手の因果律フリーかつ繁栄してない人だったからあっさりリフレ派に転向できたのかなぁとか、妙に納得してしまったのでした。m(_@_;)m