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国民審査評論

日々の雑感的なもの ― 田崎晴明 9/11/2005(日)

凡庸なことを言いますけど、それにしても、最高裁判事の国民審査で、何も書かなければ○の意味で、×の人だけがわざわざ書かなくちゃいけないってのは冗談きつすぎだよね。

旧ソ連では、信任する場合はもらった投票用紙をそのまま投票箱に入れ、不信任の場合のみ記入所に立ち寄って不信任である旨を記入してから投票、というスタイルの信任投票があったらしい

とか

どっかの国では、赤紙と青紙をもらって、自分の投票しない方は破り捨て、投票する方を高く掲げてまわりの群衆に見せてから投票箱に入れる方式でやってるらしい

とかいうのを笑えないではないか。

田崎氏のこの記事を見て思い当たったのが、改憲国民投票最高裁裁判官国民審査方式を採用する可能性。この改憲国民投票に関しては国政選挙に準じる言論統制(笑えん)を敷くのではないかというのがもっぱらの噂だが、それに加えて投票に最高裁裁判官国民審査方式が採用されでもしたらシャレにならない。


もっとも、怪しげな権利を追加するなどして一括で賛否を問われれば、9条の些細な改訂は当面国内の我々には跳ね返ってこないから追加される権利のうまみに比べれば問題が小さいとみなされてあっさり通る可能性もある。


従って、実のところそこまでやるかどうかは疑問なのではあるが、こと憲法の平和主義に関しては維持すべきであるという世論が比較的多数であるという調査結果をよく見るので、そういう状況に変化がなくかつ他の手法では逆転できないと考えられた場合、ひっくり返す手段の一つとして考えられてもおかしくはないだろう。今回与党で衆院の2/3の議席が確保されたというシャレにならない選挙結果も加味して考えると、本気でこれを心配しておく方がよさそうだ。m(_@_;)m