合理的・現実主義

あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 2005年07月22日(金)


この日興味深いエントリ多し。


カリスマに頼るのをやめよう。

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真の救世主は「現実主義者」から現れる


ここで語られている方針は、ほとんどの人にとって(=リーダーだけでなく、リードされる人にとっても、である)無理難題であろうと思われる。以下、「現実主義」のキモとされるもの。


「その1。バスに適切な人を乗せる

適切な人々を適切なポジションに配置す」る。

「その2。事実を認識する」「真実を聞くことができる風土をつくり出す」



「信念が合理的であることの方が圧倒的に少ないのかもしれない」

合理的、という意味をそれなりに一貫しているという意味でなく、科学的であるという意味に解すならば、言うまでもなくその通りでしょう、と。

で、

「推測でしかないのだけど【徒手と空拳おれカネゴン】、みんなまず最初に闇雲に信念を打ち立てて、それを後から全知全能を結集して合理化しているだけだったりしたらどうしよう。」

この推測、たぶん、何を今更級の大当たり。\(^o^;)/



人類の二分法。


「派手なものでないと、ものを買った気がしないんだ。もっともっと、派手なものを着てやるんだ。」

という心情に共感できるかどうかで二分する。


基本的にプチブル(心情のことであって属する階層ではない)で小心者のBUNTENは、この言葉を語ったという、"釜ヶ崎のドヤ街でド派手な特攻服に身を包んでいる"ような人とは、付き合うどころか目を合わせるのさえためらうだろうが、この考えには大いに感じるものがある。