福知山線事故

bewaad institute@kasumigaseki 2005-05-02■ [economy][politics]福知山線事故について考えてみた(上)鉄道の安全性

運転手や車掌の管理について言うなら、重大な結果につながらなかった軽微なミスを、さまざまな手がかりを与えてくれる貴重なテストケースだと考え、その理由が仮に個人の問題行動によるもの(例えば不可抗力的でない脇見)であっても、きちんと報告しさえすればお咎めなしとすべきでしょう。


もちろん野放図なモラル低下(報告しさえすればよいとなり、注意しようとするインセンティブが下がる)を防止する必要はありますが、それは重大事故への厳正な対応でカバーできると思います。

その上で色々な分析を行ない、より効果的な対策から順次打っていき、事故の発生を抑えるわけです。(具体的な対策は、指差し呼称等の人間心理を応用したものから、安全装置の設置などの機械力によるものまで色々ありますが、To

error is human(スタートレック32kにおけるミスタースポックのセリフ)なので、心理応用で十分とすることのないように注意しなくてはなりません。


これは鉄道に限らず広義の事故に関わる人事管理全般について言えることかと思うのですが、鉄道における"開かずの踏切"とかに限らず、たとえば自動車事故に関しては、魔のカーブや死の交差点などと言われる事故多発地点があるなど、システマティックな対応によって容易に事故率を減らせると思われる場合であっても、賠償の確保のためか運転者らの個人責任に帰されるばかりで、運転者個人が危険を訴えた段階で信号機が付いたとかカーブミラーが設置されたとかいう話は聞かない、どころか何人も死人が出ても手が打たれない、こともよくあるようです。


この、個人責任で済ます方法は、安全設備を設ける義務がある側にとっては金を出さなくて済む上に、どうかすると個人に責任をなすりつけて自分の責任を不問にすることもできるのでかなりおいしいものですが、危険を訴えようとする現場の者にとっては、事故前の指摘は"お前の心がけが悪いのを棚に上げて他人(or設備)のせいするな。"と言われ、おまけに事故後に問題を把握していたことを下手に公表しようものなら"わかっていたのに事故るとは注意散漫だ"あるいは"居直ってないで素直に反省しやがれこのボケ"という批判が飛んでくる恐いものです。


「最近悪役になっている日勤教育(beewaad氏発言)のようなものが横行する背景には、こういった力関係の非対称性もあると思われます。(昔はそれなりに労組の力もあったので昨今ほど極端なことにはならなかったように思います。)


規制をかけるならば、こういった非対称性を打ち消せるように、金の配分や指揮命令をする権力のある側により重い責任を課したり(って、私が言う「権力がある側」には政府も含まれるからbewaad氏は嫌がるだろうな。(^_^;))、安全設備などが必要だと指摘を受けても予算を付けなかったことが証明されたら現場の責任を軽減するような仕組みにでもしない限り、いかに事故防止の理念が立派でも事故の原因探しではなく犯人捜しで終わってしまうでしょう。

なお、スピードやダイヤに関する要求がきつい(一分遅れでブーイングする乗客の要求が過酷なのが事故の背景だ)という指摘が一部でなされているようですが、それは通勤時間の一分一秒の価値が極めて高いことを示しており、人間の生理・心理の限界に近い長時間あるいは密度の高い労働+長時間の通勤+遅刻等に不寛容な労働環境、という状況が、鉄道輸送への過酷な要求を生んでいる(原因は通勤+労働環境にある)と考えます。


この問題の解決には、鉄道各社には収入減となります(^_^;)が、都市部の建築規制を緩和して職住近接を押し進め通勤時間を減らす(リフレとのセット必須)、労働時間規制を厳格化する等の方策が考えられるでしょう。